最後に一つのパンフレットに書いたことをちょっとお読み致します。その題名は「満たされた生活」なんです。我々キリスト者の使命はもちろん「満たされた生活を送る」ことではないでしょうか。「我々は皆満たされた生活に満たされている」と聖書ははっきり言っているのです。パンフレットの内容は次の内容です。
中国の福建省の丘には所有者の名前が刻み込まれた特殊な美しい価値ある竹の幹が見られます。必要な水を村へ引くにはこのような長い竹筒の樋を用いねばならないことがしばしばあります。竹の直径は大体10センチから11センチです。一本の類稀な美しい竹が他の竹に混じって、ある丘の側に立っていました。その幹は黒くつやつや光っており、やさしい羽根のような枝は涼しい夕暮に揺り動いていました。私がその竹の前に立ち、その素晴らしい美しさに驚嘆していますと、この木は私に何かささやき始めました。
「あなたは私に強い幹と力強い枝に驚いておられる。しかし、あなたの見ておられるものは、皆私自身の力でできたものは一つもないのです。私の持っているものは全部私のご主人の愛情深い世話でできたものです。彼は私をこの豊かな丘に植え、私の根が隠された泉にとどくことが出来るようにして、この泉から私は絶えずいのちの水を飲み、栄養を取り、美しさや力を得ているのです。よその木を見てご覧なさい。何とやせ細っていることでしょう。あの木々の根は生きた泉に届いていないのです。私はそれに引き換え、隠れた水を見つけているから、欠乏することを知りません。私の幹に彫ってある文字を読んでご覧になりますか。近くへ来て見てご覧なさい。この文字は彫り込まれているのです。この仕事は苦痛に満ちたものでした。仕事の終わるまで耐え忍びました。しかし小刀を振るったのは私の主人の手だったのです。この仕事が終わった後、私はいい知らない喜びを覚えました。この時以来、彼は私を愛しており、私が彼の所有物であるということを私に知らせようと思っているという確信を持ちました。実にこのような主人を持つということは私の名誉です。」
竹が私にこれらをみな語っている間に、私はあたりを見回しました。すると、この主人が立っていました。彼は愛情込めて自分の木を眺めていました。手には一振りの鋭い斧を持っていました。「わたしはおまえが必要なのだ。おまえはわたしの役に立ってくれるかい」と彼は言いました。「ご主人さま、私の持っているものはみなあなたのものです。しかし、私はあなたにとって何のために役に立つのでしょうか」とこの竹は答えました。「わたしは、わたしの生きるための水を、乾いて痩せた水のない土地へ持っていくためにおまえが必要なんだよ」と主人は答えました。「しかし、ご主人さま、どうして私はそれに役立つことが出来るのでしょう。生きた泉のあるここでは私は必要に応じて水を得ることができ、私の枝は空に張り出し、降って来るにわか雨で元気づけられるのです。私は強く美しくなることができ、力と美しさが天から与えられるのがうれしいのです。私は通り行く人すべてにあなたは私にとって実に良い主人だということが出来ます。どうしたら、私は他の人々にいのちの水をさらに与えることができるのでしょうか。」
主人のこれに答える声は非常に弱くなって、「もしおまえがおとなしくしていたら、わたしはおまえを使うことができるのだ。しかし、そのためにはわたしはおまえを切り倒してお前の枝を全部取り、おまえを裸にせねばならないのだ。それからわたしはおまえをここから遠くの山の青草と雑草の刺のある雑木しか生えていない寂しい場所へ持って行き、そこでさえわたしは小刀を使わなければならないのだよ。なぜならわたしのいのちの水が通り抜けることができるようにおまえの幹の中の邪魔物を取り除かなければならないからだ。おまえは今自分が死ぬだろうということを考えているね。そう、おまえは死ぬでしょう。しかし、それからわたしのいのちの水はおまえの中を通って、妨げられずに流れることができるのだ。確かにおまえは自分の美しさを捨てなければならない。おまえを讃美し、おまえのみずみずしさや力強さをほめたたえる者は誰もなくなるだろう。しかし、多くの人々がかがんで、おまえを通って流れるいのちの流れを飲むのだよ。確かに彼らはおまえを見ないであろう。しかし、おまえを通して生きるための水を与えたおまえの主人をほめたたえるだろう。おまえはこの報酬を快く受け入れて死ぬことができるか。」
私はこの竹の答えを聞こうとして息を殺して「ご主人さま、私および私の持っているものは全部あなたのおかげです。もしあなたがほんとうに私を用い、私の献身によって他の人々に生きるための水を運ぶことができるのでしたら、私は喜んであなたに身をささげます。ご主人よ、私をあなたの思うままに切り取りお使いください。」主人の眼差しはよりやさしくなりました。それから彼は鋭い斧を手に取り、一撃のもとに切り倒しました。竹は少しも反抗せず、彼は手を緩めなかった。竹は囁いた。「ご主人さま。あなたの思うようにしてください。」斧は休みなく働く。そしてこの木の素晴らしさ、その王冠は幹から切り離され、永遠に失われたのです。今や彼はほんとうに裸になりました。
主人は、尽きることなく優しさを持ってこの幹を肩に担ぎ、山を越えて遠くの方へ運んで行きました。彼はある寂しい場所に立ちどまり、もう一度恐ろしそうに見える鋭く研がれた刃物を手にしました。彼はその刃物を幹の中心に直接突き刺し、抉り出しました。彼は幹の中に水路をつくり、この管によって水のない土地に水を流そうとしたのです。幹は逆らわず、ただ「ご主人さま、あなたの思うことが実現しますように」と囁くのでした。彼は節に全部穴を開け、幹の端から端まで、穴が空くまで同情を込めてこの仕事をやりました。それから彼は幹を起こし、用心深く、水晶のように澄んでいるいのちの水がほとばしり出ているところに運びました。そこに幹を横にし、一方の端を水がほとばしり出るところに送りました。水は幹を通って流れました。非常な苦痛のもとにできた軌道に沿って流れました。流れのように水は流れました。音もなく絶え間なく、無尽蔵に。そして主人は喜び、また満足もしました。そして、主人は他の木を探すためにまた出かけました。彼の選んだ二三本の木は驚いて尻込みしました。その報酬を恐れたのです。しかし、他の木は「ご主人さま、私たちはあなたを信頼しています。あなたの思うようにしてください」と言いながら彼に身をゆだねました。
このような苦難の道を経た後、彼は木を順々に例の場所に運び、端と端を結んで下に置きました。幹幹が全部位置につくと彼は泉から直接新鮮な澄んだいのちの水を注ぎ込みました。幹によって橋渡しされた距離は長い間、思い焦がれていた喉の渇いた人々は、男も女も子どももみなこの水を飲むことができました。それから、彼らは「水が来たぞ、長い間の苦しみは終わった。来て飲みなさい」と言いながら、他の人たちは来て水を飲み元気づけられました。主人はこの様を見、彼の心は幸福になった。彼は自分の木のところへ引き返し、木に訊ねました。「おまえは相変わらず寂しいか。世界にいのちの水を与えるための報いは高過ぎたか」それに続いて、木は答えました。「いいえ、ご主人さま。たとい私が千のいのちを持っているとしても、私はあなたを喜ばせ、喉の渇いた人々を休め、役立つという幸福のためにあなたに身をゆだねたことでしょう」
最後に、最初に読みました箇所をもう一回読んで終わりたいと思います。ピリピ書3章8節です。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。
私たちは同じ態度を取ることができるならば、ほんとうに幸いと思います。
(引用者註:今日のこの話ほど示唆に富む例話はないであろう。何度も味わいたい話である。まさに『キリスト者の使命』の掉尾を飾るにふさわしい話である。長い間続けてきたこのシリーズもやっと今日で終わる。GB[170]。)
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